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精神科学自由大学・第一クラスについて(1)

精神科学自由大学・第一クラスについて(1)

 アントロポゾフィー協会の有機的な生成の歩みと将来の課題

1924年1月18日 ルドルフ・シュタイナ一

 

 このたび、精神科学自由大学・第一クラスについての『オリエンテーション』が改訂されました。それは「精神科学自由大学の建設と構成、および受け入れの条件」と「ルドルフ・シュタイナーの自由大学論」という、ふたつの項目からなりたっています。この機会に、その内容を、会報において、順に紹介していくことにいたします。まずは「ルドルフ・シュタイナーの自由大学論」として、はじめに掲げられている講演です。

 

 会報の第二号に 一知ってのとおり、会報は「アントロポゾフィー協会において生じていること」というタイトルをもちます一 まず、わたしが会員に向けて語ったことが載っています。そして、わたしは、次のことに、ことさらな重きを置きたいと思います。その、会員に向けて語ったことの、はじめの件りが、わけても真剣に受けとめられて欲しいものです。そのはじめの件りを、そのまま引くことにいたします。

 

 「普遍アントロポゾフィ一協会の設立に向けたクリスマス会議の内容は、この会議のあいだゲーテアヌムに集った会員が体験したことに尽きるものではありません。いずこであれ、人がアントロポゾフィーを愛するところにおいて、これから、こう感じるようになればこそ、すなわち、この会議によって促されたことが、まさになされることによって、新たなアントロポゾフィーの生命が来たった、というように感じるようになればこそ、その内容が、リアルにありあわせるようになります。そうならないとすれば、この会議が課題を満たしたことにはなりません。」

 

 わが愛すべき友のみなさん、まさに疑いなく、アントロポゾフィー協会は新たな生命をもたらします。そして、クリスマスにここで生じたことは、きっと、そもそもにおいて、こうとらえられます。それは、いまのところ、まだ出来上がっていません。まだまだ完結していません。クリスマスにここで生じたことのほとんどは、完結したことと見なすことができません。このクリスマス会議には、きっと、引き続き弛まず、アントロポゾフィー協会においてさらに生じることよって、内容が注ぎ入ります。これまでは、そうした会議が、はじまって終わるまでの、限られたあいだのことというようにとらえられてきました。せいぜいのところ、その時の体験が思い出されるまででした。

 

 しかし、このクリスマス会議は、そうとらえることはできないということを、あらかじめ示すような特徴を有していました。この会議は、その場かぎりの会議というようには、とらえることができません。その内容は、まったく独特の性質をもちます。愛すべき友のみなさん、このクリスマス会議をふりかえって考えるなら、きっと、こう言えることでしょう。そこには、精神の世からやって来たものがありました。そこでは、協同という、ことのことごとくを断ち切って、精神的なものを、なされることのいちいちに通わせる試みがなされました。しかし、精神的なものは、それ独自の法則をもちます。精神的なものがもつ法則は、物質の世において支配する法則とは違っています。精神的な背景によってクリスマス会議にありあわせたものを取り上げてみるなら、それをそれとして据えてみるなら、こう考えることになります。アントロポゾフィー協会の仕事のいちいち、行いのいちいちが、このクリスマス会議を糸口にします。

 

 このクリスマス会議は、かつての会議が受けとられるように受けとられるだけなら、そのうちに香気が失せます。内容を失います。そして、集わないほうが良かった、ということにあいなります。そもそも、精神的なものは、しっかりもちこたえられていなければ、消え失せるという質をもちます。もちろん、コスモスにおいては消え失せません。しかし、それは育まれなくなった場にとっては消え失せます。それはコスモスにおいて別の場を探し求めます。そして、わたしたちのクリスマス会議のようなことにとって頼りとなるのは、地上の領域の内に生じることではありません。すなわち、クリスマス会議において素地を据えられたことが、拓かれることなく、香気をなくしても、きっと、地上のどこかしらに現れるだろう、などと思うことは許されません。それは、そのように現れるにはおよびません。それは、まったく別の世において、さらなる隠れ家を探し求めることができます。すなわち、すべては、このクリスマス会議について、しっかりとこころを用い、その内容をリアルに受けとめるための可能性を見いだすことに懸かっています。そのことが、会報によって賄われて欲しいものです。

 

 会報の当初の各ナンバーは、そもそもにおいて、ここでのクリスマス会議におけることついてのみか、このクリスマス会議のうちに意欲として生きていたことについても、ひとつの像を伝えることになるでしょう。そして、なかんずく、会員に向けた語った件のことのうちに意欲として生きていたことが伝えられます。その語りかけは第二号に前半が載っています。つづきは次のナンバーに載ります。まずは、このことを語る必要がありました。一面において、アントロポゾフィー協会のこれまでのことを、いま、振り返ってみる必要があるということ、そして、アントロポゾフィー協会において、これからあるべきことのほうを、前向きにみる必要があるということです。

 

 そこから、よきこととなるはずですが、まさにその観点から、いうならば、クリスマス会議を、わたしたちにとり、ふさわしい枠組みにおいてとらえるために、すこし振り返ってみます。

 

 アントロポゾフィ一協会は、小さな、なんとも小さな形において始まりました。その小さな形は、当時、今世紀のはじめでしたが、テオゾフィ一協会に含まれていました。どういうことだったかというと、こうです。わたしたちはテオゾフィ一協会をまったく度外視することができます。そもそも、アントロポゾフィ一協会として発展してきたものは、有機的な生成の歩みを経てきました。いわば、独自の源泉、独自の萌芽から繰り出してきました。そして、アントロポゾフィ一協会を土台として築いたのは、まずもって、ほんの僅かな人たちでした。小さな集いが、いろいろな場でもたれました。また、公開の催しが、はじめは、ごくごく小さな枠組みで開かれました。概して言うなら、そのはじまりのころ、アントロポゾフィーの運動に気を配るのは、そこに居合わせた人、なんらかのかたちで、じかにかかわった人の他ではありませんでした。言うならば、すてきな和やかさがありました。そもそも、世は、アントロポゾフィーを気にもとめませんでした。気にとめたのは、ほかでもなく、アントロポゾフィーのサークルに集う人たちばかりでした。

 

 そのなかには、こころの深くからの必要を、アントロポゾフィーとして精神の世から湧ききたるものに結んだ人たちがいました。そうした人たちが、だんだんに多くなり、そうした人たちの集うサークルが、やがてアントロポゾフィー協会となりました。

 

 こころの必要をそれと結ぶことができなかった人たちは、やって来ませんでした。しかし、そのころ、やって来なかった人たちというのは、ほかでもありません、興味がないという人たちであり、また、ことさら気を害したというのではなく、たんに、ここでなされることは、わたしにとって、なんにもならない、と言う人たちでした。それでまた、やって来なくなります。仕事は、そのようになされましたから、安らかで和やかなうちになされました。そこでなされたのは、事実、高いまことを求める人たちを、狭いサークルを通して、その高いまことへと近づけることでした。

 

 ただ外側のこととしてですが、そのはじまりのありようが、戦時中には妨げを被りました。たしかに、それぞれの国のあいだの行き来が、それまでのようにはできなくなりました。狭いサークルでの結びつきができなくなりました。まさに戦時下において世に罷り通された、ひどい僣政のためです。しかし、アントロポゾフィー協会を貫いて流れる、そもそもの精神の潮流は、そのままありつづけました。

 

 しかし、アントロポゾフィのうちには、ひとりひとりの人を、その人の中心にあるこころの必要においてつかむことはもとより、事実、人が生きることのまるごとをつかむことも入ります。いずこであれ、人間的なものの源泉から創造的なものがものをいうようになろうとするところでは、その人間的・創造的なものが、アントロポゾフィーの源泉と結びつくことができます。そもそも、アントロポゾフィーは、普遍的・人間的なものを目指します。そして、わたしたちは、まずミュンヘンにおいて、ひとつの芸術活動をはじめることができました。

 

 その芸術活動、すなわち秘儀のドラマの上演は、多くの人にとって、みずからのこころの歩みを一歩進めることになりました。それらは、それまで理念を通して受けとめていた、精神の生きた織りなしを、絵姿において見てとりました。

 

 おおもとにおいて、それまでの安らかな歩みは、その、ミュンヘンにおける秘儀のドラマの上演によっても、まだ乱されはしませんでした。アントロポゾフィーとして広まりつつあったものを、世が気にとめるということ、そのはじまりは 一それまでにも、そちこちに、それなりのタイプの人たちにおいて、敵対的な動きが出てきていましたが、しかし、そうした動きは顧みるまでもありませんでした。そもそも、秘めやかなことにおける仕事は、直接のこころざしからこそ、最もポジテイブになされます一 気にとめるということのそもそものはじまりは、ゲーテアヌムをここに建てるという企図が、実行に移された時です。その定礎を、わたしたちは一九一三年に据えました。その時、目に見えるかたちで、なにかが打ち立てられました。その時、人々が、なにかを目にしました。しかも、わけのわからないなにかです。そのことをもって、アントロポゾフィーが、世の側から気にとめられるところとなりはじめました。

 

 さて、それからも、まただんだんに進みました。なるほど、戦争のあいだにも、いうならば、わたしたちの側の古い習慣が引き続きはしましたが、その時から、だんだんに始まりました。学者のかたがたも、まずは、ひとえに、こころの内なる中心の必要からアントロポゾフィの運動に加わってきましたが、その、こころの中心の必要をアントロポゾフィーから満たすことができないこと、そして、今日、学問という学問が、死せる点に行き着いていることを、見いだしました。その死せる点は、まさにそもそもの認識の必要がはじまるところにあります。科学の今日におけるありようを、きちんと思い浮かべてみれば足ります。ことはまさしくこうです。わが愛すべき友のみなさん。若い人が学びます。そこでさしだされるものが、若い人に、ひとくさりの知識を伝えます。そのひとくさりの知識が、まったく独特の性質をもちます。そして、こういうことは、どこにおいても、はっきり語られはしませんが、今日、若い人が学校において 一すでに下の学校において、それからことに上の学校において一 見いだすひとくさりの知識は、どのような独特の性質をもつでしょうか。その知識は、どこまでも物質主義の思考に浸されています。そして、今日、多くの側から、物質主義はすでに破産している、科学はふたたび精神的なものへと回帰する、といったことが言われますが、それは、実のところ、ただのお喋りにすぎません。それは、そもそも幻想でしかありません。人は精神的なものについて語りはしますが、しかし、精神的なものという概念をいささかももちあわせてはいません。

 

 すなわち、そこでさしだされる知識は、おおもとにおいて、物質主義の思考による知識のひとくさりです。しかし、それを、若い人が受けとります。それが、若い人の上に降り注ぎます。若い人が、なんらかの指針をもちあわせることのないままにです。ただひとつの指針は、こうです。すなわち、若い人が、試験を受けなければならないということを、知っていることです。そのことが、若い人にとって、どうにかこうにか世に出るための導きとなります。しかし、おおもとにおいて、若い人には、科学の広範さをまえに、さほどのことはしようがありません。その科学が若い人の上に降り注ぎます。若い人が、そうして受ける印象は、ほかでもありません、どしゃぶりの雨にうたれて、ずぶぬれになった時のごとくです。若い人は、そこでさしだされることによって、いわば骨抜きになるか、または凝り固まるかです。そこでさしだされる、その知識、その気づきが、それとして無価値だというわけではありません。それは断じて無価値ではなく、時によりけり、こよなく高い価値を有します。しかし、それを学ぶことになる人は、その価値についてなにも知ってはいません。それはそれなり若い人の手近にもたらされますが、若い人はその価値についてなにも知ってはいません。

 

 すなわち、こういうふうに言うことができます。たとえ今日の知識がこよなく高い価値をもつとしても、その価値は、その知識を受けとることになる人にとって、意識されるまでにはいたりません。

 

 わたしは自伝を公けにしつつありますが、それについて慎ましくふれさせていただきます。読んでいただければ、ひとつ、独特の現象を迎えてみることになります。なるほど、ことばで詳しく描きだしてはいませんが、わたしがどのように学んだかということです。おおよそ、学校をとおして、わたしにやって来たものは、まったく外面的なままにとどまりました。わたしが学校をとおして得たものは、ひとりひとりの人物をとおして得たものです。つまり、人物として、わたしになんらかの印象を与えた、ひとりひとりです。

 

 このまえの『ゲーテアーヌム』誌において、わたしは、中学校で、化学と、どのような出会いをしたかについてふれました。化学は、今日、ある意味において、まさしく称賛に値するものです。しかし、その学問としてのありようは、どうでしょうか。そこには、なんのまとまりもありません。まさに知識が、雨のごとく、人に降り注ぎます。

 

 さて、わたしたちの中等学校において化学を教えていた人は、すぐれた化学者でした。そして、その人は、語るということを、ほとんどしませんでした。その人は、わたしたちを前に、実験をしました。ずつと実験だけです。語るとしても、二言三言、実験と実験のかかわりを語るきりでした。そして、それが一週間ほどつづいて、成績がつけられることになります。わたしは、ことに親しくあったことごとを、そこ(自伝)では語っていません。しかし、成績がつけられる日が近づくと、そのことを生徒たちが知っていました。つまり、こうです。ギルム氏は、いよいよなにかを問うてくるだろう。そもそも、ギルム氏は、わたしたちになにも問わなかった。実験ばかりで、なにも問わなかった。一週間も問わなかった。それから、ひとりが勇気を奮い起こし、ギルム氏のところに行って尋ねます。博士、次は実験ですか、それとも試験ですか。氏が言います。うん、次は試験をする。そして、二、三時間、試験がつづきます。それはそれとして優れたことではありましたが、入り込むということが絶えてできませんでした。

 

 しかし、その人は、思慮深いチロルの詩人、ヘルマン・フォン・ギルムと兄弟でした。フーゴ・フォン・ギルムというのが、その先生の名前です。そして、事実、そうしたことに対する感覚をもちあわせて、かのフーゴ・フォン・グリムの目を見やった人は、そのように目を見やることによって、体系的な化学の教えによるよりも、事実、なおさら化学的なものを得ました。なるほど、人は、その教えから、すこぶる多くをは得るには得ますが・・・。そもそも、その目は、まったく特別なものでした。その目が世を見やります。その目において、こういうことが伺えました。その人が自然のものごとのいちいちを見つめるにおいては、ものごとが、そのまなざしをとおして、その人のうちに入り込む。ものごとが、そのまなざしをとおして、その人のうちに入り込み、そして、また、そのまなざしが、ものごとを、外へと照らし返す。その人は、ものごとを、つねに内に抱く。そこから、生徒のわたしたちは、みな、こう感じていました。その人の学問への向かいかたは、そもそもにおいて、ほかのどの先生とも違っている。わたしたちは、ほかのどの先生も、「教授」と呼びました。その人も、ほかの先生と同じく教授でしたが、その人を「博士」と呼びました。つまり、その人の学問への対しかたが、ほかの人とまったく違っていることを、前提にしていたからです。

 

 いかがでしょうか。これぞ人物です。また、わたしが挙げている、ほかの例からも、これぞ人物という人を、かずかず見いだすことができるでしょう。その、かずかずの人物は、少なくてもわたしにとって、はなはだ目覚ましいものをもちあわせていました。そして、そこからまさしく、少なくともわたしは、学校を寝過ごすことができ、目覚めたものごとを、みずからで探し求めるようになりました。

 

 すでに十九世紀の後半からですが、そこから二十世紀において、アクテイブに探し求めない人、みずからでみずからの道を探りつつ求めようとしない人は、なにかを学ぶということができなくなりました。つまり、学ぶということが、そのように脇道においてなされてきました。そして、わたしは、こう言わなければなりません。括弧つきで言うことですが、わたしは見上げたことに、ひとりの良き生徒(学び手)でした。はたして、そうではありませんか。試験されるのは、学校で学んだことについてです。しかし、わたしは、学校で、なにも学びませんでした。すなわち、わたしは、見上げたことに、そもそもからして、いずこにおいても、良き生徒でした。

 

 つまり、言わんとすることは、こうです。重要であるのは、今日の文明が知識を人にさしだす、そのさしだしかたのうちに、そもそもにおいて害となるものを見てとることです。その害になるものを、多くの人物、学者である人物が見てとりました。もしくは感じとりました。そして、その人物たちが、わたしたちのアントロポゾフィ一協会にやって来ました。その人物たちは、こう感じていました。今日の学問の営みは、いちいちどの学問においても、死せる点において尽きる。そこは、ほかでもなく、その学問がさしだすものを、こころが、リアルな認識にしたてようとするところです。しかし、わが愛すべき友のみなさん、人が知るということにおいて、興味のもてないようなものは、なにひとつありません。それがふさわしく人にさしだされ、ふさわしく聴かれるならば、興味のもてないようなものは、なにひとつありません。にもかかわらず、どれほど多くのものを、今日の生徒と学生は、興味のないものと感じているでしょうか。

 

 そして、こういうことが、きわだちました。多くの学者がアントロポゾフィー協会に入ってきて、アントロポゾフィーから、いちいちの学問を稔り多いものにしようとしたことです。

 

 そうして、人々をひどく苛立たせることが生じてきました。そもそも、人々は、ゲーテアヌムによってのみでなく、アントロポゾフィーによる学問として出てきたものによって、逆撫でされました。アントロポゾフィーが、ものごとに、人の欲していないかたちを与える、というように見てとられました。

 

 要は、おおもとにおいて明らかに見抜くということのみです。現実は、すでにこうです。まえに、あるアントロポゾフィーの集いでお話したことでもありますが、いつものことに、敵がアントロポゾフィーの会議にやって来ます。そして、敵であるもののひとつは、若い、ナイーブな人物です。そして、そのナイーブさが、まさにわたしたちの会員のもとに、幾重にもありあわせています。そのむきの人が、牧師を、あるいは教授を、あるいは医者を、なんなく納得させることができると考えます。しかし、そうはまいりません。そもそも、いまのおおかたの人にとって大事なことは、頭においてであれ、心においてであれ、納得されされることではなく、それなりの立場(Lebenseinstellung 生きる姿勢)にあることです。おおかたの人は、無意識ながら、そこから抜け出ることができません。すなわち、要は、その方向において、明らかに見抜くということです。はたして、それなりの立場にある、多〈の人が、その立場から抜け出ることができるのは、どこにおいてでしょうか。さて、そこから、さまざまに 一実際、毎週のように、アントロポゾフィーに反対する、なんらかの冊子や本が出ています一 さまざまに、もちろん、まじめではない人たちによって助長されながら、敵として出てくるものが生じました。

 

 そうしたことによって 一ドイツにおいて三分節運動から生じてきたことや、その他のことを、いちいち挙げるまでもありません。ここでは質的なものを取り上げれば足りるはずです一 そうしたことによって、かつての安らかさ、かつての和やかさ、世がアントロポゾフィーに気をつかわないゆえにありあわせた、安らかさ、和やかさが、なくなりました。そして、いま、アントロポゾフィーは、営まれなければなりません。まさに、あらゆる側から反対ばかりか中傷をも受けながらです。そして、問いが生じました。その問いが、ここで、十一月の末から十二月のはじめにかけて、アントロポゾフィー運動の運営を担う用意があると表明した人たちのあいだで、すこぶる大きな役割を演じました。すなわち、こういう大きな問いが生じました。人が、将来、なおさらにアントロポゾフィーを、どのようにして営むことができるでしょうか。そもそも、アントロポゾフィーの本質的なことは、これまでも着々と、安らかさ、和やかさのうちに営まれていたとおりに営まれてきましたし、また、そもそもにおいて、それと違ったようには営みようがありません。しかし、その安らかさ、その和やかさを、わたしたちは、もはや有しません。それゆえ、手立てと道が見いだされなければなりません。なおさらにアントロポゾフィーを営むためにです。言い換えれば、アントロポゾフィーを世の前に立てるためにであり、アントロポゾフィーが、それそのものの質により、敵からの中傷で害されないようにです。さらに言い換えれば、アントロポゾフィーをもって、はじめもはじめから語られていたことを、さらに続けていくために、手立てと道が見いだされなければなりません。

 

 そこから、はたして、こういう運びとなりました。このたびのクリスマス会議が、まさにそのとおりの特徴を取り入れました。まさに有していたとおりの特徴です。このクリスマス会議は、これまでアントロポゾフィー協会において多くのことがそれなりに受け取られてきましたが、そのように受け取られてはならないものです。このクリスマス会議からは、新たなことがはじまります。しかし、それはまた増やされた古いことにほかなりません。そこから、はたして、こういう運びとなりました。協会の構成が、こういうことを含むようになります。すなわち、会報の第二号において「精神科学自由大学」というタイトルのもとに、わたしが記すところです。

 

 ふりかえれば、わが愛すべき友のみなさん、事実、そもそものアントロポゾフィ一の生命の糸が引きちぎられた時期に、精神科学自由大学をもって過ちが生じました。失われたゲーテアーヌムについての話し合いにおいて、すでにふれたとおりですが、ゲーテアーヌムにおける大学講座として開かれたものは、ゲーテアーヌムの芸術スタイルに、ほとんど適っていませんでした。その互いはまさに互い違いでした。そして、そうなったのは、わたしたちのことがらのうちに、よその大学が備えているものを、強いてもちこもうとしたことからでした。しかし、それは必要ありません。それが必要になるとすれは、わたしたちが自由大学のための資格制度をもつことができるようになってからのことです。わたしたちが、まずもって必要とするのは、どこにおいても与えられてはいないことを与える場です。すなわち、人を精神の世へと導くことを与える場です。そして、それが、ことばの厳密な意味において、精神科学自由大学の内容となってほしいものです。

 

 精神の生命へと導く、学びの場においては、つねにそうでしたが、まずは、エソテリックなサークルがあり、人がそのエソテリックなサークルから精神の世へと踏み込みました。そして、アントロポゾフィー協会の運営会は、すなわち、その、精神認識ということの本質のうちにある事実を、まるまる勘酌しようとするものです。

 

 つまり、これから将来において 一そのことは精神科学自由大学についての二つ目の項目において述べていますし、またまもなく続きを述べるつもりです一 まさにこれから、普遍アントロポゾフィー協会があるようになります。加入の条件は、いわゆる綱領として、クリスマス会議のあいだに話し合われています。人が、これから、しばらく、このアントロポゾフィー協会に加わることでしょう。また、このアントロポゾフィー協会のうちに、精神認識について語られるところよって、みずからの満ち足りをも見いだすことでしょう。そして、ひとりひとり、どなたも、会報の第二号に載せられていることを、よくよく読んでいただきたいと思います。ならば、こうおっしゃることでしょう。まずもって、普遍アントロポゾフィー協会において、加わった人に向け、精神認識が語られる。そのことは、まさによいことである。そもそも、それは、精神の世へとつづく、いちいちの道にとっての基である。

 

 たしかに、精神の認識が語られるためには、まずもって、それを探究することもできる人たちがいなければなりません。しかし、それは、それなりのカルマを要します。つまり、だれかが、精神の見へと、じかに迫るということです。つまり、精神の探究から理念のかたちで扱われるまでになったことを、まえもって念入りに学ぶことなしに、ということです。

 

 おおよそ、人は、精神認識と理念からもたらされることを、権威を支えにすることなくして、しっかりと見抜くことができます。そして、アントロポゾフィー協会に属する人は、まずもってアン卜ロポゾフィーを営んでほしいものです。もちろん、そこから、生きるということに向けてでてくることごとをも含めてです。つまり、生のいちいちの分野に向けて出てくることことをも含めてです。そして、それから、エソテリックなものへと迫ってほしいものです。そして、精神科学自由大学の三つのクラスが、いまや普遍協会につながります。それは、どこまでもエソテリックなものをさしだすことになります。なるほど、クリスマス会議において述べたとおり、部門の別はありますが、しかし、エソテリックなものをさしだすことになります。

 

 さて、今日、アントロポゾフィー協会には、長くからの友が、たくさんおります。これから加わる人には、二年ほど、アントロボゾフィー協会に属し、その上で、精神科学自由大学の第一クラスヘ、加入の申請をする、というように勧めるのが、最善でしょう。そのことは、もちろん、アントロポゾフィ一協会の、すでに 一俗にはどういうのでしょうか一 苔の生えたかたがたには当たりません。

 

 そこから、ただちに第一クラスが設けられます。また、すでにお伝えしたとおりですが、第一クラスに入るには、申請をしていただきます。また、すでに多くの申請がわたしのもとに届いています。なお、さしあたりは、まず第一クラスが設けられます。古くからの会員も、第一クラスの会員になります。もちろん、わたしたちは、そこでもペダンチックにはなりません。若い会員であっても、アントロポゾフィーに熱意のあるかたなら、もちろんのこと、この第一クラスに入ることができるでしょう。要は、外的なことであるよりも、むしろ内的なことです。

 

 しかし、それには、やはり、さしあたり、外的なことがかかわってきます。わが愛すべき友のみなさん、前からおことわりしているとおり、講演をどう受け取るかについて、週三回の講演は、ことにこのところは、多すぎました。まさに多すぎました。実に、あまりにも多くの講演がありました。こういうことを申し上げても、悪くおとりくださることはないと思いますが、そこから、わたしは、次のようにはじめます。ことはだんだんに変わるでしょうが、まずは、毎週、土曜と日曜に、アントロポゾフィー協会にむけて話し、金曜日に精神科学自由大学の第一クラスに向けて話します。

 

 わたしたちは、これから、アントロポゾフィー協会の普遍的な会員証をもつことになりますし 一そのすべてがすぐになされます一 加えて、精神科学自由大学の第一クラスのための会員証も出すことになります。そこから、すなわち、ここにおいて、金曜日には、精神科学自由大学の会員が集い、土曜日と日曜日には、アントロポゾフィー協会の会員が集うことになります。そして、わたしは、さしあたり、たぶんこうなるだろうと思っています。すなわち、精神科学自由大学の第一クラスの会員も、土曜と日曜に出てくるだろうというようにです。そもそも、わたしは、こういうふうにしたいと思っています。すなわち、人が、リアルに、ここ、ドルナッハにおいて、クリスマス会議から、なにかがはじまっていると、見てとるようにということです。

 

 そうではありませんか。わたしたちは、ここ、ドルナッハにおいて、最初の講演をもってより、かれこれ十数年前に、この丘において、アカンサスの葉についての講演をもってよりこのかた、だんだんに、ますますエソテリックなまことを語り、エソテリックなまことを見いだしてまいりました。しかし、後から会員となるかたがたには、それにかみ合うことが、なかなかできません。そして、ここでは、それがそもそもどのようになされるのかが、まさにはっきりと示される必要があります。これからのドルナッハにおいては、アントロポゾフィー協会がどういうところなのか、ということばかりでなく、それがどのようになされるのか、ということも、きっと、見てとることができます。そのことを目指して、わたしは、まず、第一クラスにおいて、毎週、金曜日に、先週の日曜日の講演において手掛けたことを先へと進め、内における成長ということにも取り組みます。つまり、エソテリックなものを育みます。それが、金曜日になされることです。そして、土曜日と日曜日には、さしあたり、そもそもにおいてアントロポゾフィーヘの導きとなることがら、アントロポゾフィーの初歩を、お話しいたします。もちろんのこと、わたしは『テオゾフィ一』や『人はいかにして高い世を知るにいたるか』を講じる、もしくは繰り返すつもりはありません。しかし、おおもとのところからアントロポゾフィーをそれとして述べるつもりです。そして、わたしは、たぶんこうなると思っています。アントロポゾフィーの生命に与ろうとする、よき意欲は、第一クラスの会員が、ここ、ドルナッハにおいて、わたしたちは金曜日だけに出る、ほかのことは、どのみち知っているから、ということの内に存したりはしないだろう、ということです。望むらくは、普遍的な講演に、第一クラスの会員のかたがたが、なおさらの関心をもって、おいでくださりますように。そもそも、そこにおいては、これまでになおざりにされていたことの多くを、受け取ることができるでしょう。そのとおり、これからは、そもそもアントロポゾフィーが、おおもとのところから、どのように営まれるのかを、見てとることができるとともに、第一クラスのエソテリックな内容も、受け取ることができます。つまり、第一クラスヘの申請をして、申請が受け入れられるならばです。

 

 要は、このとおりのアントロポゾフィー協会の構成が、これから理解されていくことです。日曜日までには、ひとつのモードが見いだせると思います。そして、次の週の金曜日から、三日間にむけて企図することにとりかかります。アントロポゾフィーをおおもとのところからそれとして述べることのほうは、さっそく明日からはじめます。

 

 そのとおり、まさにここ、ドルナッハにおいて、クリスマス会議に結びつく意志を得るということが、できるようになっていきます。いわばこの観点、ここまでに説いた観点が目に据えられるなら、この「なおさらにアントロポゾフィーを」ということが、リアルに、ふさわしく、心において顧みられるようになるはずです。アントロポゾフィ一は、理論であることもできませんし、考えにおいて生きるところを欠くこともできません。わたしたちが生きる、いまという時代において、アントロポゾフィーは、きっと、地上の、数えきれないほどの人にとり、熱い問いとなるはずです。つまり、アントロポゾフィー協会が、リアルに働くようになり、人の必要とすることが、アントロポゾフーとして迎えられることに触れて、燃え立っことができるなら、きっと、そうなるはずです。すなわち、こうです。ひとつの具体的なケースを例にします。最近、また、すばらしい本が出ました。一種の自叙伝、一種の、みずからする生の記述であり、フォードによるものです。読んだ人なら、きっと、こう言うはずです。この自動車王が生の記述として世にさしだしたものは、はなはだ特徴的なものです。そこには、魅力的なもの、そもそもにおいて大いなるものが含まれています。そして、わたしは、こう言いたいものです。この自動車王が、精神と物質において、生きるあいだに憧れたもの、そこから、わたしは、こういう印象を受け取りました。こう考えてみてください。だれかが門の前に立っています。その人は、精神の上でさしせまった必要を抱えています。すなわち、その人は、さしせまったものを求め、真っ当なものを求めますが、その人の声は、とどきません。その人の求める真っ当なものを伝えません。その人は、世に向け、声を張り上げて、その人の求める真っ当なものを伝えたいと思います。しかし、その声は、どうしても足りません。その人は、扉を叩きます。ありとあらゆる手立てをあみだします。轟くように叩きながら、その人のそもそも欲するところを表そうとします。

 

 フォードの本を読みながら、わたしは、ほとんど、その扉のごとくでした。しかし、それにもかかわらず、その本は魅力的です。読む人は、こころに青い染みが生じます(こころが青ざめます)が、なおかつ、その青い染みを愛します。そもそも、それは、いわくいいがたく理性的です。そして、扉のむこうには、アントロポゾフィーがあります。しかし、アントロポゾフィーは、これまで、ひとつの協会のうちにあり、それなりの構成をとっていました。そして、扉を叩くものにとって、扉のむこうにあるものに迫ることは、まったくできません。それは、できません。わたしたちは、それにむけて、また別のことを必要とします。

 

 そうではありませんか。フォードは、ひとりの代表的な人です。しかし、かれのありよう、大きなスタイル、まさに現代の最も大きなスタイルにおける、かれのありようは、現代の、数限りない人のありようです。すなわち、これからは、ひとつの意識があるようになってほしいということです。よく学ぶアントロポゾーフであることの意識だけではなくて。わが愛すべき友のみなさん、わたしは、学ぶアントロポゾーフである人に、ものいいをつけようとしているわけではありません。その人は、まさにそうあってしかるべきです。そうした人たちが、アントロポゾフィーに寄与してきました。そうした人たちが、最もよき時を過ごしたのは、かつて、和やかさが支配し、人がゆっくりとみずからを広げていった時期においてでした。人が学ぼうとすることがいけないという筋合いは、なにもありません。すなわち、そのことは、それとして、ひとつのことです。むしろ、そのことが、これからは、もっと盛んになされてほしい者です。このかた、一九一八年以来、人が、いろいろな大学風のことがらや、その他もろもろをアントロポゾフィー運動のなかにもちこもうとしてきましたが、それよりももっと盛んにです。しかし、それに付け加わってほしいこと、つねに目指されてきたことでもありますが、それは、アン卜ロポゾフィ一を世にむけて代表することです。そして、そのことは、いかがでしょう、まさしく、どこまでも違ったスタイルを要求します。そのことが、また、代表を引き受けるべく、わたしを動かしました。そもそも、それによって、わたしが、アントロポゾフィーを、協会によって、どのように代表させたいかを、世にむけて、なおさらに示すことができるようになります。一九一二年、一九一三年 一当時はそのほうがよかったのですが一 わたしが[代表を]退いて、講師を務めるだけにするということになりましたが、それから、だんだんに、そうはいかないということが明らかになってきました。わたしの本来的に欲することが、協会によって薄められるようになってきました。ことを押し進める力が、奪われるようになりました。一九一八年からは、ことに甚だしく。

 

 そして、いま、ここ、ドルナッハにおいて、この、ここにお伝えしたとおりの特別な編制によって 一もちろん、これは、ひとつのはじまりにすぎません。これから、さらに進展することでしょう一 ドルナッハにおいて、この特別の編制により、アントロポゾフィーが、どのように代表されるかということ、および、アントロポゾフィーが、世へと、どのように担われていくかということが、見てとられるところとなってほしいものです。また、そのことをもって、アントロポゾフィーは、会員のかたがたの心のうちへと、もっともよく取り込まれることでしょう。そのふたつの側から、安らかさと和やかさのうちに立てられたことが、なおさらに立てられることでしょう。かたや、こういうことも、リアルに見てとられるようになるでしょう。まさにこの編制がふさわしく育まれるなかで 一これから運営会の押し進めることが理解されるならば一 事実、こういう可能性が見いだされるはずです。扉が激しく叩かれるときに、扉のむこうにあるのは、アントロポゾフィーですというように伝える可能性です。しかし、いまはまだ扉が激しく叩かれもします。扉が開かない!(という叫びがあがりもします)。それでも、扉が内側からアントロポゾフィーによって開けられるという可能性が、見いだされるはずです。そのときには、きっと、こういう可能性がありあわせているはずです。ことがらを世にむけても担い行く可能性です。ならば、現代文明のなかで育ちそれに飽き足りず、大きく盛んに知ろうとしてしる人たち、たとえば自動車王・フォードのような人たちが、こんなふうに言うことでしょう。わたしは、はたまた、こういうことを書いた。いまの科学もまた、そもそもにおいては、過去を指し示すものであるにすぎない。しかし、人は、過去だけに生きることはできない。生きるということはそもそもにおいて、きっと、未来にむけて保証されている。人は、知識を取り込むことができるばかりではない。きっと、生きたものをもちあわせている。わたしは、そのことを書き記した 一フォードの本をお読みください。とても興味深い本で、たとえばお終いの章です一 わたしは、なにかが欠けているのを知っている。それはアントロポゾフィーである。

 

 人々が、そのように言うことにもなるでしょう。すなわち、わたしたちが、クリスマス会議において意志されたことを、リアルに、真剣に取るようになり、クリスマス会謡が、だんだん僅かにではなく、だんだん多く、内容を得ていくならばです。

これが、いわば、ここ、ドルナッハにおける働きへの序章として、みなさんの前に掲げたかったことです。わが愛すべき友のみなさん。あしたは、アントロポゾフィー協会について考えてみることに、じんわりと、とりかかります。アントロポゾフィー協会が、まさにアントロポゾフィーの協会として、どのように考えられるか、どのようにアントロポゾフィ一を取り込むか、ということです。

訳:鈴木一博