精神科学自由大学

精神科学自由大学 · 03日 5月 2021
精神科学自由大学・第一クラスについて(3)−3
 今回取り上げている「アントロポゾフィー協会の構成のうちにおける精神科学自由大学と部門の分節」は組織論としても読むことが出来ます。共同作業を行なっていて、とても充実した時間や成果を出せた時。そうでない時。そういったことを考えながら読むととても日々の現実を改めて考えさせられる内容です。そしてものごとを運営していく運営論、経営論としても読むことが出来ます。自由大学のオリエンテーションの中の核となる文章となると思います。関心のある方には折に触れて読んで頂きたいテキストです。
精神科学自由大学 · 03日 5月 2021
精神科学自由大学・第一クラスについて(3)−2
「エソテリッシュなものごとは、お喋りの対象ではありません。それが、おうおうにして、喋りちらされるだけになっています。こうしたことは、言わく言いがたいことです。つまり、生きる姿勢に基づくことだからです。しかし、言わんとするところは、おりにふれて分かっていただけると思います。これこれは秘儀の秘密であるとか、しかじかの受肉があるとか、ただお喋りをするだけのために、エソテリッシュなものごとがあるのではありません。そのものごとは、考えうるかぎり大いなる厳粛さをもって扱われなければなりません。しかるべく分かるということをもって扱われなければなりません。」 とても重いテーマで言葉がないですが、オリエンテーションの3の2を投稿します。
精神科学自由大学 · 03日 5月 2021
精神科学自由大学・第一クラスについて(3)−1
自由大学のオリエンテーションのNo.3になります。 アントロポゾフィーと社会ということを考える上でとても大事な考えがいくつも述べられています。長文なので3回に分けてお送りします。 会員であること、そこから会自体をそのひとなりに代表するよう立つ自由大学会員のスタンスのことが書かれています。
精神科学自由大学 · 03日 5月 2021
精神科学自由大学・第一クラスについて(2)
初回は自由大学の話の前提として、アントロポゾフィーのアソシエーション(協会)のこれまでの経緯・歴史が具体的に述べられました。 No.2は、一つ目は自由大学の根本的な構成。二つ目は発足時の具体的な部門の構成のテキストです。 自由大学の根本的なつくりは、ルドルフ・シュタイナーのような実際に精神の世を見、聴き、経験でき、そのものごとを、わたしたちが分かることのできる、考えという形にして、その考えから私たちが学びます。一般的にはそういう形は教え手からの暗示、学び手の自己暗示になるのではという見解に対して、「考え(理念)と考え(理念)が互いに証しあいつつでありうる」というユニークな考えで応じています。 これはとても印象的なひとときなはずです。 何かに応じ合うときに、この考え・アイデアは自分が好きな考えだ!みたいな時は往々にして情がものを言っています。 もちろんこう言ったケースも健やかなケースとバランスを欠いているケースの間のどこかに必ず立っています。 もうひとつ、この考え・アイデアに向き合い、今まで自分が持っていた考えが改まるようなひとときがあります。「目から鱗」のひとときです。
精神科学自由大学 · 03日 5月 2021
精神科学自由大学・第一クラスについて(1)
 2003年から04年にかけてシュタイナーハウス(旧NPO法人日本アントロポゾフィー協会)の会報に掲載された鈴木一博氏による翻訳のR・シュタイナーの「精神自由大学・第一クラスについてのオリエンテーション」をお届けします。  翻訳時から15年を経過していますが、引き続きこの精神科学自由大学という存在の理解というものが、日本においても世界においてもまだまだ繰り返し改めて考えてみる必要のある題材かと思います。