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経済学への前奏曲〜価値

価値

 

 交換されるものどうしの価値が釣り合い、その交換が当事者双方にとって価値あるものになったとき初めて価格が成立します。それでは一体価値とは何でしょうか?価値は、生産と消費の「はたらき」なのです。価値は生産によってつくられ、消費によって使い果たされます。厳密にいえば、経済学が対象とするのは「価値」の生産と消費なのです。価値の中身が靴なのかパンなのかということは二義的なことです。物が生産から離れて消費の方向へ近づくほどその価値は高まります。その価値が最大になるのは、「真の」消費時、すなわちそれ以上の交換が行われず、実際に使用されるときです。

 

 経済学において根源的価値というようなものはありません。物は人の行為によって初めて価値を得たり失なったりします。物自体に価値はないのです。その上、獲得した価値は変動します。増価*と減価は、その物に実際に起きたことを反映します。孤立して何も変化しないという物は物理的にあり得ません。人参は育ち、熟し、そして腐ります。生命を得、再び失っていきます。この世に生まれ、この世を去ってゆくのです。経済学における価値も同様です。問題は、人が価値をそのように捉えていないということなのです。例えば、インフレ下では価値は無限に増加していくかにみえます。しかし実際は、インフレは自身の縮小をもたらし、あらゆる価値は使い果たされるという基本的な不変の法則を示すのです。価値は貯めることができるという考え(現在の経済思想に蔓延しており、土地の購入に内在する考え方)は幻想です。それは単に、価値が「貯蓄」されるとき実際に費やされているものが何なのかを私たちがまだ見極められないゆえにはびこっている幻想なのです。

 

 生命の世界は成長と衰退、誕生と死のプロセスの上に築かれています。人間はこのプロセスの重要な一部であり、それを通じて経済に結びついています。同じ理由で、人間自身の内に経済の秘密が隠されています。経済学はこのプロセスの社会へのあらわれをみる一つの方法にすぎないのです。

 

*この語(envaluation)は減価(devaluation)の対義語としてevaluationとの混同を避けるため考え出しました。

 

(訳:佐藤由美子)

 

著者:クリストファー・ホートン・バッド

 

長きに渡り、ルドルフ・シュタイナーの経済学へ与えた示唆の学び手。ロンドンのキャス・ビジネス・スクールにてファイナンスの博士号を取得。ゲーテアヌム経済会議の議長をされています