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聖き夜との考えとわたしなる秘密ー②

 今日わたしたちが見たのは、あまたあった劇のほんの一端です。さきほども多少なり話しましたが、かつての聖き夜の劇から、いくばくかが残りました。いわば楽園の劇、もちろんこれも聖き夜の節に演じられたものです。じつに当時はこの時節に創世紀の話が演じられていました。それから羊飼いの劇、贈り物をしにくる三人の王様の劇、さらに多くのことごとが、いろいろに演じられていました。そして、そのほとんどが消え去りました。

 

 そこここの村でそれがすたれだすのは、十八世紀のなかばあたりからです。しかし、ふりかえれば、なんとすばらしいものが生きていたでしょう。カール・ユリウス・シュレーアーのことは、これまでにもたびたび話しましたが、かれは前世紀の五十年代に西ハンガリー地方、だいたいプレスブルクの一帯、またそこからさらにハンガリーに入ったあたりで劇を採録しました。ほかにも別のところで採録した人たちがいますが、当時シュレーアーが探しあてた劇と、劇にまつわる慣わしのかずかずには、ことさら深くこころに迫るものがあります。それら聖き夜の劇は、村のだれそれの家に手書きで残されて、それはそれは神聖なものとして保たれていました。かつてそれを演じるには、十月に入り、やおらその年の上演のことがこころにかかり、演じ手の若衆男女がえらばれ、えらばれた若衆は当日までのそなえのあいだ酒を断ち、日曜日に喧嘩をしないとか、さまざまな慎みごとをして、彼らのいうところの「聖らかな暮らし」をおくります。聖き夜の節、聖き劇を演じるには、それなり聖き心でと、そういう意識を人びとは抱いていました。世俗のしきたり、浮き世の楽しみで臨んだのではありません。

 

 演じるのはふだん鋤よ鎌よで働く人たちですから、それは素朴なものでしたが、始まるとから終わるまでを、ずっと深く厳かさが領しました。シュレーアーが、またそのまえにヴァインホルトらの面々が各地でみいだした劇は、いずれも聖き夜の秘密に臨むことへの深く厳かな気持ちに裏打ちされています。しかし、時代をとおしてそうだったわけではありません。ほんの数百年をさかのぼると様子はがらりと変わって、ずいぶんとおかしなものに出くわします。こうした劇が、ことにヨーロッパ中部のそこここで、いかに生まれ、いかに育ってきたか、その推移に、聖き夜の考えがどれだけ力強くあずかったかが見てとれます。当の考えが初めからすんなりと受けいれられたわけではありません。最初からいま述べたように神聖に、厳粛に、ことの意味を思い、ことの意識をもって臨んだのではありません。そもそもの始まりは、およそこんなでした。教会の副祭壇のまえに飼葉桶をすえるして、それで小屋にみたて、牛と、ロバと、おさな子と、さらにふたつ、ヨゼフとマリアをすえる。ときは十四世紀、十五世紀のあたりですが、もうすこし古くもさかのぼれます。初めはそんなふうに素朴な人形でやっていました。しかし、そのうちにもっと生きたいろどりが欲しくなります。といってもこれまた聖職のほうから始まって、人形に替わりふたりの司祭がヨゼフとマリアを演じる。初めのころはしかもラテン語でした。むかしの教会はラテン語をつかうことに頑なにこだわり、信徒ができるだけなにも理解しないまま、ひたすら身振りや表情をながめでもしていることに、深甚な意味をみていたのでしょう。しかし、それでは済まなくなります。人びとも目のまえで演られていることの、いくばくなりともわかりたいと思うようになります。そのうちにいくつかのくだりがその地のことばにおきかえられ、いよいよともに演じてみたい、加わってみたいとの気持ちが生まれてきます。しかし、ことは人びとにとってなじみのない、いたって疎遠なことでした。いまでこそあたりまえのようですが、たとえば十二世紀、十三世紀のころで、聖き夜のこと、そのほか、神聖な秘密のいちいちは、人びとの知るところではありません。なるほどその年その年とミサにでかけ、聖き夜には深夜のミサにもくりだしましたが、それでも聖書のことは聞いた覚えがありません。聖書はただ司祭が読むだけのものでした。たとえ知っていても、きれぎれの断片がせいぜいです。そもそも司祭が演じてみせたというのは、同時にそれを人びとに知らしめるためです。そうしたなかから人びとは当のことを知るようになってきました。

 

 誤解のないように断ります。これはれっきとした歴史の真実ですから、その意味で話します。人びとが劇にかかわるようになったのは、厳粛な奇跡にあずかるのだというような思いからではありません。目のまえで演られていることに加わってみたい、ともに動いてみたい、演じてみたいと、そういうこころのうごめきからでした。そこから人びとはことに近づきました。そのうちにそれもしかたあるまいと認められ、さらによくことが知らされていきます。そうはいうものの、一歩、一歩の歩みです。たとえば飼葉桶におさな子にしても、当初の人びとにはなんのことだかわかりません。いったい飼葉の桶に赤ん坊とは、めったにお目にかからない光景です。かつていわれを知らされなかったころ、人びとはとにかく受けいれては従いました。しかし、ともに演ろうとするようになって、ことが残りなく知らされます。たとえば揺り籠をひとつ置くして、人びとの参加か始まります。列をつくって、順番がきたら、ひとり、またひとりと揺り籠に歩みでて、ほんのしばし揺り籠をゆすっては、おさな子をあやす、そんな参加のてはずが他にもあみだされます。とある地方では始まりこそ厳かにいきますが、おさな子が生まれたところで、いっせいに叫べ、踊れ、大騒ぎをして、生まれた喜びをたたえる、そんなふうに動いてみたいの気持ち、演ってみたいの雰囲気のうちに、ことが受けとられていきます。しかし、なんとも大きな力が当のことにはひそんでいました。まずは卑俗な雰囲気のうちに始まり、だんだんとさきに述べたとおりの神聖な雰囲気が生れてきました。初めはおくびにも神聖とはいえないところから、徐々に事柄そのものが受容の経緯に神聖さをもたらしました。こうして中世にはいり、聖き夜のことは人びとをとらえずにいませんでした。人びとは劇を演じるにあたり、みずからに行いを慎もうとするようになりました。

 

 そのように人びとのこころをとらえ、人びとの魂を領したのは、なんだったでしょうか。じつにおさな子へのまなざしです。人にあって神聖なるままにとどまるところ、地に結ばれた他の3つの身のなりと異なるなり、すなわちわたしへのまなざしです。地方により、時代により、このベッレヘムのことはおかしな形をとりもしましたが、それでもひとはおのずからにして、おさな子のおさな子たるところへの、清らかなまなざしを育みました。このまなざしとは、キリスト教の歩みの始まりのことに通じています。地を歩む人のうちにあってとどまるところと、地を歩む人にまとわるところと、ふたつのかかわりの改まり、かつ改まりの意識です。地に人のもたらすもの、地に人の身より生えいづる木、その木が十字架となる、その木と人が新たに結ぶです。

 

 ヨーロッパ中部におけるキリスト教の発達史で、その古い時代に広く民衆にまでいきわっていたのは、ただひとつ復活との考えだけでした。聖き夜との考えはいま述べたとおり、だんだんにして加わりました。「ヘーリアント」その他の古い文献に残るのは、ひとりの手になるものでこそあれ、民衆のものとなるにはいたっていません。

 

 人びとの祝う聖き夜、このお祝が人びとのものとなり来たったいきさつは、かくのとおりです、立派ではありませんか、子どもの子どもたるところ、おさな子イエスなる新たな姿した、純粋な、無垢のなりとひとつであるとの考えが、人びとを領したとは。この力を強め、この地にいまただひとつ、なべての人を結びうるこの考えが、人の魂に生きるとき、それぞまさしくキリスト者の考えです。やがてはこのキリスト者の考えが、大きく、強くなります。それでこそ地のなりてなる歩みは、しかるべく遂げられていきます。そして、いまはなお地に人の、キリストの考えの深みから遠く隔たることを、こころにとどめましょう。

 

 最近、すでに読んだ方もあるでしょうか、エルンスト・ヘッケルの本が出ました。「永遠、世界戦争の生死観、宗教と進化論」と題して、真摯な真実への愛からでた一冊です。深刻このうえない真実を探ろうとしています。いまこの地に起きていること、民族どうしが争い、憎しみ、日に日におびただしい死者がでる、ひとつひとつ痛ましくせまる思いに、ヘッケルも言いおよんでいます。もちろんのこと背後には彼の世界観があり、かれの立場から事態をどう見るかという意図があります。その立場については、これまでたびたび論じてもきました。たしかにヘッケルは研究者として偉大であり、精神科学をする者にも、それはそれとして認めることができます。その彼の立場は、しかしまた彼の進化論に近来の局面として説くところにも行き着きます。そのヘッケルが大戦を論じ、流される血と死者のおびただしきにふれ、そして問います。ここに宗教の思想はもちこたえられるか。かしこき摂理とか、よき神とかが、世を統べるとは、信じられるか。日に日にただの偶然で とかれはいいます― 多くの者が死ぬ、その死の原因に、何かかしこき世界秩序とのかかわりが立証できるか。砲弾のひとつが偶然あたった、たまたまその場にいあわせただけではないか。この事態をまのあたりにして、英知とか摂理とか神意とかが意味をもつのか。人とは唯物論の進化史が説くとおりのもの、この世は摂理ならぬ偶然の統べるところ、このたびのような事態は、そう考えねばならぬことの証左ではないか。それに対してなおかつ宗教の考えを抱けるとすれば、ただひとつ諦観あるのみ、ただただ身を捧げて万有に化す、とこういえるばかりではないか。問はここで尽きません。ヘッケルはこの問いをしていませんが、こうです。いうところの万有が原子の戯れにすぎぬのなら、人の生きるは、この世の在るに、なにほどの意味をもつのか。ヘッケルはそう問うていませんが、しかし問いへの答えは本に記しています。すなわち、この痛々しい事態は、よき神意、かしこき秩序の、信じるにいわれなきを証す。ゆえに諦観、あるがままに身をまかせるです。

 

 これも同じく聖き夜の本です。真率で誠実な聖き夜の本です。ただし、ひとつ大変な予断をもとにしています。この世の意味は精神の方法で探るべからず、それは人に許されぬとする考えです。事態の外面だけに眼をむけるなら、意味も見てとれません。つまるところヘッケルのいうとおりになります。生きるに意味なし、しかも意味は探ってはならぬです。

 

 ならばむしろこういう者がでてこないでしょうか。ただ外面だけをみれば、たんに砲弾がとびかい、それが人にあたるだけをみればこそ、意味もみいだせない。つまりこの事態が告げるのは、より深くに意味を探れではないか。この地にじかに生じるものに意味を求めるだけでは片手落ちであり、人の魂が身とともに消えてなくなるとはかえって信仰であり、むしろ魂が死の関をこえてより始まることを探れではないのか。とにかく外面に意味がみえないなら、外面をこえたところ、感官による知覚をこえたところに、意味が探れはしないのか。

 

 ここからするなら、同じことがずいぶん違ってこないでしょうか。ヘッケルの科学は、またかれのように考える者は、結局、意味という意味を拒むまでにも行き着きます。いましも起こるいたいたしい事態から、この世に生きるまでが無意味だと説くにもいたります。しかし、わたしたちの方法でするなら、そしてしてきたとおり、同じ科学が終末ならぬ始まりの科学となります。この世のものごとのうちに、深く、大きな意味がときあかせます。ただ、ここには精神があずかります。精神をあずからしめる力が必要です。かつて人びとが聖き夜の秘密にまなざしをむけ、卑俗を神聖に高めてきた、そこまでに人びとの魂を領してきた力を、科学はまだ受けとるにいたっていません。いまなお聖き夜のことがとらえられず、いまなおものごとの外面にキリストのこころざしを結べないために、科学はこの世の意味を、この世の真実の意味を見いだせないでいます。

 

 なるほど誇らしく大きな歩みを、科学はとげてきました。しかし、それそのものとしては、満足のゆく見地にいたるべくもありません。まさに同じ道のりで無意味にも意味にも通じます。ここ数百年来、とくに十九世紀から今におよぶ唯物論の科学の誇らしい歩み、すばらしい知見のかずかず、身のまわりをみても、ことごとくが科学から来ています。明かりを灯すにも、ゲーテのようにランプを灯すかわりに、このとおり違った明かりを灯しています。みずからの内をかえりみても、ことごとくが科学の大きな進歩から来ています。なるほど人の誇りとするのは故なきにあらずです。しかし同じ科学がどうでしょう、科学は当の人が福をもたらすかぎりで福をもたらします。しかしいま同じ科学が、ここまで完成され、仮借ない殺戮の器具を生みだします。科学の進歩は建設にも破壊にも仕えます。ヘッケルのかかげる科学が、意味にも無意味にもいきつくように、この大きなものをなしとげてきた科学が、建設にも破壊にも役だちます。この科学がひとり歩きするなら、建設する同じ源から、さらにおぞましい破壊の器具をも生みだします。この科学は、人の歩みをになう力を、じかに宿していません。ひとたびこのことが見てとれたなら、科学をかいかぶるかわり、ふさわしく評価できるものを。人のなりてなる歩みには、これまでの科学によるのとは別なものが出るべく出てこようこともわかるものを。いったい科学とはなんでしょうか。他でもありません、アダムの墓に生える木です。これからの時は、いよいよもって人びとがこのことを知るにいたります。科学はアダムの墓に生える木です。時は近く、人びとは知るにいたります。この木はなべての人の十字架となる木です。十字架にかかるのは、人にあって死をこえたところにしかるべく結ばれるキリストです。まこと聖き夜の秘密をこころに思えば、思いとともにわたしたちがまなざしをむけるさき、幼く素朴な姿に説かれつつ至高の秘密をひめるキリス卜です。そうして木は幸いの木となります。まさしく奇しきことではありませんか、それがこうも単純に説かれるとは。人の地に生きるをつらぬいて統べるもの、幼いみぎりをこえゆかぬもの、入り来たれり。そのもの、キリストにかよいてあり。まったく奇しきことではありませんか、超感覚で不可視というなら、いたって超感覚で不可視のことが、こんなに単純な姿で、親しく、人びとに、素朴な人びとの魂に伝えられたとは。

 

 科学者は、知識人は、この素朴な人びとの魂が歩んだ道をこれから歩みます。その昔には、おさな子が揺り籠にあらず、飼葉桶にあらず、十字架に眠る姿で描かれもしました。おさな子が十字架に眠るとは、なんと深い姿でしょう。きょう話そうとした考えのすべてを、それはあらわに伝えます。

 

 いや、この考えはもとからして素朴に伝えられるものです。はたして、いまこの世におぞましくぶつかりあう力と力は、どこに生じるでしょうか。わたしたちみずからで記憶がおよぶ境のこちら側、そのこちら側でする営みからです。そのむこう側にあって、わたしたちはおさな子です。天の国に入るべく招かれるおさな子です。そのむこう側にある人の魂からは、いまにみる不和と争いのなにごとも出てきません。こうも素朴に、この考えは伝えられます。人の魂の内なるみなもと、なべての不和をこえたところに、しかして今日、わたしたちは精神の眼をむけるべき時代にさしかかりました。(つづく)

訳:鈴木一博