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経済学への前奏曲〜資本・経済プロセス

資本

 

 一般に、経済学は人類の物質的な必要を満たすために存在する、と考えられています。が、これは真理の半面にすぎません。これだけでは経済学を理解する支えにはなりません。なぜなら外面的な物質交換は経済学の関心事ではないからです。これまで「価格」と「価値」という二つの経済用語を用いてきましたが、さらに経済の性質に分け入って「資本」に目を向けましょう。経済学は価値の交換という目にみえないプロセスを扱います。このプロセスの中では常にある重大なことがおきています。すなわち交換される物の価値は、交換という事実そのものによって常に大きくなります。というのは物は交換を経て消費の地点へ近づいてゆくからです。交換そのものが価値を作りだし、資本が生じます。交換のあらゆる局面で二つのことが起こります。一方で人の物質的欲求が満たされ、他方で資本が生じるのです。無から生まれるのではなく、分離して生じるのです。経済学の不思議の一つに、物質的欲求を満たすことによって、人は図らずも資本を生み出してしまう、ということがあります。それは経済のプロセスの中に元々含まれているのです。ですから、資本はいかなる意味でも、人間(個人または集団)の発明や創造、所有物ではありません。資本は神の賜物なのです。

 

 経済プロセス

 

 経済学は、思考においてこの神の賜物であるプロセスを再構築し練り上げていくもの、あるいはそうあるべきものです。このプロセスは人間が発明したものでもないし、世界から排除しようとしてもできないものです。それは夜の後に昼が来るのと同じように天与のものです。私たちが理解すればするほど、このプロセスは社会の中により完全に現れ、私たちの社会はより経済的になるのです。今ある経済の病はすべて、この経済プロセスが正しく現れることができていないことから生じているのです。これはひいては現代経済科学の不適切さ、つまるところ私たち自身の思考力の弱さからきています。

 経済プロセスは本質的に以下のような道筋をたどります:

 

人は物質的な欲求を満たすさいに、その必要最低限を上回る価値をつくりだす。

 

 この余分の価値が資本である。資本は更なる価値の生産に使われる。このプロセスは自己充足的であり、自発的で、永続的なものである。

 

 このような公式には経済学のまさに核心が含まれています。そして、経済学の真髄はイデアの領域で捉えられるということに注目してください。私たちはここまで、観念に日常の例の衣を纏わせたり、「需要と供給」「貨幣」「銀行」といった用語を使ったりせずにやってきました。実際、これらのことを理解しようとするなら、まず内的に思考の形でこの経済プロセスの性質を把握することが不可欠なのです。なぜなら、特に今日のように一つの言葉(例:資本)がいくつかの意味を持つような時代には、応用経済学に足を踏み入れたとたん、その本質が見えなくなってしまうからです。経済生活の全体は経済プロセスによって形作られています。このプロセスは原形的なもので、もっとも些細な取引においても、ずっと大規模な経済生活の中でも同様に現れます。そこで、現代の核心的な問題がでてきます:

 

資本の所有はどのように理解すればよいか?

 

(訳:佐藤由美子)

 

著者:クリストファー・ホートン・バッド

 

長きに渡り、ルドルフ・シュタイナーの経済学へ与えた示唆の学び手。ロンドンのキャス・ビジネス・スクールにてファイナンスの博士号を取得。ゲーテアヌム経済会議の議長をされています