たくさんのルドルフ・シュタイナーの講演録が翻訳されていますが、シュタイナーはどうぞ自由に公にして下さいとの想いと併せて、このようなコメントを寄せていました。講演録を読み取るには前提が必要だとのことです。それを判断するにはそれなりな基礎知識が必要であるということです。シュタイナーの出版でとても大切なのは、一般的に人の好奇を誘うような内容が皆さんによく手に取られるからこそ、意識的に基本的な理解を助ける仕事への熱心さが欠かせないことです。なかなか上手く行きませんが引き続きこの線で頑張っていきたいと思っています。
「みよ、行いにして朽ちざるところを されば覆いの覆いとあらわれ はれやかに神の生きるのきわだたむ」 クリスマスですね。シュタイナーによるその所以。大手を振ってなるほどと思える人はとても少ないんだろうけれど、関心のある人に届いてほしいと思います。 フィヒテも何を思ってこの詩を編んだんだろうか。神のような考えからほんとうに遠くかけ離れた時代になってきました。今はほんとうに短い尺でことを細かく見るようになりました。もうひとり取り上げられたヘッケルが第一次対戦の意味に訳に直にせまれなかったように、今、社会にインパクトを及ぼす事件にほんとうに意味や訳を見出すことが難しい時代になっているからこそ、この見方を抱えて、神のような考えに迫る力強さを求められているはずです。 朽ちざるところ。朽ちざるところなんてあるのか?クリスマスの大きなテーマもここになると思います。
「聖き夜の考えとわたしなる秘密ー②」更新です。冬至ですね。なかなかこういうものに取り組んでいるとことばが無いですが、関心のある方に読んで頂ければ幸いです。
クリスマスを前に、1992年に鈴木さんが訳された、シュタイナーのクリスマスに関する講演録を掲載したいと思います。初期の鈴木さんの翻訳のスタイルは、私のような初期スタイルで馴染んでいる人としてはなかなかたまらないものがありますが、はじめての人にはちょっとハードルが高いかもしれません。ただ私も23歳のときに、全く読めなかったですが、これだ!という確信がビビッと走り、読解を始めました。鈴木さんの訳は読み込めば必ず分かる訳なので取り組めば取り組んだなりのものが得られると思います。「わたし」という考えは、なかなか一筋縄ではとらえづらい考えですが、このテキストからもおおくの側面が得られると思いますし、まぁ何をえるとかえないとかそういう話に尽きず、今を生きるということをその人なりの深みで感じられるんではないでしょうか。
利益、貨幣、賃金、土地所有などなど、私たちが持っている一般的なイメージと、それがそもそもどのように経済の領域で振る舞っているのかとの乖離が個々に指摘されます。 「能力に相応しい機会を提供する」という金言に、個々の一人ひとりは自らの可能性を開花させつつそれをもって社会に寄与することになります。同様に世界を取り巻く無数の他者からの寄与の恩恵をひとりとして受け取り上で社会生活が成り立って行く。ひとりが皆のためにということは結果で、ひとりがもっとその人を実現させることからもたらされるもので、世界が前に進んで行く。まったくもって「自由の哲学」とおなじモチーフで経済が語られていることに驚きを隠せませんが、個々のポイントに関してはもっともっと実生活に落とし込むような発見が出来そうです。
分業化・利他主義・需要・交換とざっと見ていきます。とても大事なことの核の部分だけ述べられていますが、個々の部分をもっと丁寧に掘り下げていくこともとても面白そうです。 その中でも交換が経済のキモであるというところに目が止まります。仲買人、バイヤーの存在意義に改めて光があたります。昨今のアマゾンを代表とするネット販売を趨勢の中、中間業者のあり方が改めて考え直されていますが、作り手と購買者の間で創造的に仕事をするバイヤーはこれから改めて注目される職域だと思いました。
経済の課題のひとつには、経済のやり取りのなかでの基調として互恵性があります。今風にいうとWin Winの関係ってやつですね。それがそもそもの形としてそなわっているというところです。そこを見いだせていないことにあります。いまどきな会社はほぼこの方向性を人事にもっていますが、スタッフひとりひとりの可能性をできるだけ羽ばたかせようとする。それによって会社にも有益に形になる。以前のように経営者・監督者による管理された運用でなく、スタッフの個を輝かせる方向。こちらの方が会社にとっても有益であることが様々に言われていますし、働く側の人もそいういった職場で働きたいと思っているはず。人はいろいろなしがらみをはずしていくときっとWin Winな環境を生み出せます。
前の段から「資本」とは何か?ということがいくつかの角度から述べられています。ことばは時代時代に鋳直す必要がありますが、「資本」ということばも鋳直すことを待たれていることばのひとつです。資本主義社会ということばでいわれている「資本」とここで言われている「資本」ということばには「生息地が違う」ような、まったく違うのではないんですが、新天地で生かされる「資本」が語られています。
この回もまたまた、大きなテーマが多すぎ。労働力は経済学には余計な概念という話は面白い! 人は資本、給与は生産母体の維持費なんですよね。 こういう考えから日々のことを進めていくと、たとえば自動車を買うという考えでなくて、この車を適切に管理・維持・運用できる人がその技量を持っている限り所有権がある。 贅沢をするということが、一見贅沢とおもわれるものを所有できる技量があるというところになるんじゃないだろうか。 ものとものをもつ人との関係性が問われる。 21世紀まだまだ価値というものにマッチョに語られています。 人類まだまだ先がある!!
経済学とはたまもの(賜物)贈り物である資本・元手が、価値とともに生じるプロセスを、考えることで改めて理解するプロセスである。 そういうことを踏まえて、どのような価値を提供することで、自分が生業を立てていくかとか、 この商品の価値に対して自分はどういう価格であれば交換を成立させられるだろうかとか、 市場における価格設定の健全、不健全の度合いとか。 いろいろ考えられますね。 自分の日常を取り巻く経済プロセスを改めて考えてみることで、経済へのリテラシーが鍛えられます。